• 洋子

大日月地神示【後巻】三十七

 これからのことであるぞ。人は意の向け方学びて、あらゆるもの生み出せること理解深めて参るのじゃ。身体も変わるぞ。心のままにいかようにでも変われるのじゃ。目瞑りて何思うか。思いの世界、心の世界学びて、己に流れ来る念、思考の出所わかるようになりますぞ。靈意識じゃ。肉体意識から離れ、靈人としての己何者であるか、一つ一つ分かるようになりますのぞ。心とは何か、はっきり分かる世に変わってゆくのじゃ。心の中とは靈意識ぞ。すべては心のまま靈の世界より顕れるから、心の世界、靈の世界分かれば、真(まこと)喜び充ち満つ己となりますのじゃなあ。

 人民も靈人も意の出所分かれば、己分かるのぞ。己、何者であるか、己が分かれば、うれしうれしたのしたのし晴れやかとなりますぞ。念、受け取れる器、心じゃ。心とは、オノレが頂く念の容れ物であるのぞ。念、色々な所から流れ来ては、器に注がれますのじゃ。甘いもの、辛いもの、苦いもの、酸いもの、塩からいもの。赤青黄白黒、色々混ぜこぜいたされ、心の味、心の色、次々日々顕れますぞ。皆々日々変わりますのぞ。己、心の器の中にある念頂いて生きておりますのじゃ。出所は色々あると申したなれど、十二ある川より流れ来て注がれますぞ。一つの川の元はさらに五つの川に分かれており、さらに元は五つずつどこまでも分かれておりますぞ。元の元の元を辿れば、湧き出ずるは神々様の泉から脈々と流れ来るのぞ。澄んだ水のごとき念いただけば澄んだ思いとなりていきられますぞ。念の流れ、皆々己で選べますのじゃぞ。分かりたか。そなたの心の器の中にある念の出所わからねば、いつまでも流れ来て飲み続けねばならんのぞ。喜怒哀楽すべてが身体に顕れますぞ。そなたが選んだ飲み物でありますから、誰彼悪く申されんのじゃぞ。

 じゃがちっとばかり裏ありますぞ。隠れてこそこそと、人民らの心の器に流れる川に、毒となる念撒いておりた者らがおりましたのじゃ。長い間、皆々騙されて飲まされ続けておりましたのであるが、人民騙されながらも旨い旨いと申して、喜んで毒飲み続けるようになってしまいましたのじゃ。そのこと隠れて見ていた真知る者らが、人民あまりに可哀想じゃからと申しお現れなされて、毒抜ける念をば川に撒き始めましたのじゃ。ゆえに人の念変わり来て、天晴れ清々しい飲み物となりましたのじゃが、飲みたい者しか飲まれん薬であるゆえに、毒に魅入られ飲み続けたい人民には、薬が毒に思えて来ますのじゃ。己の心の中の念、よくよく味おうて吟味なされよ。真か偽りか、薬か毒か、じっくり見極めなされ。マコトに旨い神々様からの念、皆で頂なされよ。望めばいただけますのじゃぞ。目醒める美味しさでありますぞ。ありがたいありがたいうれしうれし神々様のお味じゃぞ。


二〇一六年七月二十二日 大日月地大神大靈団御靈 注ぐ。

72回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示