• 洋子

よひとやむみな 上つ巻 神の米

「富士」と名のつく山はみな、神の山。

見晴らし台とは、身を晴らす場所。

見渡し台ではない。

身を晴らすのだぞ。

身を晴らすとは、身体の中に神の靈を入れられるようにすることぞ。

そなたたちの身体の中一杯に、神の力を満たすことぞ。


世界の神の山々を探してみよ。

真理を見出してみよ。

そこは神の米が出てくる場所。

それは先天の氣ともいう。

本来、生き物は先天の氣を授かって生まれてくるが、

その後、増えることはない。

それが無くなると死ぬ。

寿命というものじゃ。

我で生きる者は、その氣を早く使い果たす。

母の胎内でいただいた神の米を大事にしておくれ。


富士という名の山は、神の米を生み出しておる。

されど、それが今では少なくなってきた。

多くの人間の身魂の穢れが引き起こしておる。

それを理解し、早く御魂を磨いてくれよ。


富士を開くとは心に神を満たすこと。

日向(ひむか)とは、神を迎えることぞ。

神を迎え入れた人間は、神の使いとなり、神とともに働く人ぞ。

三千世界からのエネルギーの流れ、大自然のリズムに意識を向けて、 早く真理に氣づいておくれ。

早く心を開いておくれ。


ひむかのお役をする人は、病を治し、人々を神の方に向けさせる人間じゃ。

この真理をよく肝に落とし、間違わぬように伝えておくれ。




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